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Zarpar
「もう行っちゃうんだ…?」大荷物を抱えた二人に、今更ながら声をかける。 そんなつもりはなかったが、あたしの声はひどく寂しそうに聞こえたらしい。 「はい。寂しいですけど、もう出発です」 苦笑しながら言うディライトが小さな舟に荷物を積み、言葉を続ける。 「随分お世話になりました。ジンさんにも伝えてください」 「うん。言っとくよ」 なるべく微笑もうとするけど、上手く笑えない。 それきっと、あたしがこの別れを望んでいないからなんだろう。 ――何でかな…―― 今までに感じたことのない気持ち。 あたしをこうも思わせるのは、一体何? 「昨日は悪かったな」 突然口を開いたヒートの言葉に、あたしは眉を跳ね上げた。 「え…?ああ…カーディナルのこと?」 善良で何の罪のないあたしを、明らかに巻き込み、被害者としてしまったことだろう。 「何ていうか…まぁ…無事だったんだし、大丈夫!!」 確かにカーディナルの鞭に囚われたが、二人のおかげで大した怪我もない。 平気だと両手を振るあたしに、ヒートがずかずかと歩み寄る。 「本当に何もないんだな?」 ――う……―― あたしよりも少し背の高いヒートに間近で尋ねられ、思わず視線を反らす。 「へ…平気だって!!」 「本当だな?」 鋭い目で念を押され、あたしは無意識に左腹を押さえた。 「本当に――――」 「お腹ですか」 ――!!―― ディライトの目が確かにあたしの手―――左腹を捕らえていて、あたしは一歩あとずさった。 「お…女の子の服をめくるなんて、絶対に許さないからね!!!」 「誰もめくんねーよ」 ヒートの呟きに服をギュッと握り締め、あたしは思いっきり舌を出した。 「昨日はいきなりすみませんでした…。でもどうしても知りたかったんです。 ―――――カーディナルが最期に、あなたに何をしたのか」 「…………」 ディライトの真剣な声に、あたしは自分のお腹に視線を移す。 何をしたのか、なんて関係ない。 あくまでコレはただのケガの一種であり、せいぜい打撲程度だろう。 放っておいてもすぐに治るし、これくらいのケガは学校でも常にしていた。 だからこそ、何度も平気だと言っているのに。 「何かあったのか?」 あたしをじっと見つめる2人。 いつもは目つきの悪いヒートの瞳にさえ、懸念の色が滲んでいるように見えた。 昨日服をめくられたことも、心配しているからこその行動。 あたしは妙に落ち着かないまま、口を開けた。 「本当に大したことじゃないの…!!すぐに治ると思うし……。ただ…少しだけ…」 「少しだけ…?」 ディライトに先を促され、言葉を続けた。 「…薄く…丸いアザが出来てた。……けど!!こんなんいつものことだし!」 『アザ…!?』 驚きを含んだ声が重なったかと思えば、二人は顔をしばし見合わせて、小さく頷く。 ややあって、ディライトが重い口を開いた。 「そのアザ、ただのアザじゃないかもしれないんです。僕らの話を、聞いてもらえますか?」 「大事なことなんだ。てめぇ―――お前にも、俺たちにも」 見下した言い方を、ほんの少しだけ和らいだ形に言い直したヒート。 この時、やっとあたしは理解した。 終わったと思っていた昨日の事件が、何らかの形で今のあたしに影響を及ぼしている。 そして、あたしはまだ、事件に巻き込まれている最中なのだと。 「ちょっと待って…」 混乱した頭に思わず眉をひそめ、あたしは目の前に並んだ2組の耳を見つめる。 ヒートにはフッサフサの黒い猫の耳が、ディライトには垂れ下がった黄土色の犬の耳が生えていた。 柔らかくて思わず手を伸ばしたくなるソレ。 言わずと知れた2人の変形した耳なのだが…それが、何だって言った? 「薬の副作用って…一体どんな薬を使ったの?」 さざなみの音が響き渡る海岸。 先ほどからあたしとヒート、ディライトの他には誰もいない。 だからこそ、2人はそれぞれの耳を隠す物を取っているワケなのだが。 「熾団の話はしたよな?あそこを抜ける時、俺たちはトップに殺されかけた」 「殺され…!?」 「そこで倒れた僕らを、治療してくれた医者がいるんですが…その人の使った薬が、特種な物だったんです」 懐かしい話をするように、ディライトの目は、どこか遠くを見ていた。 「死にかけの人間を回復させるだけの薬――――尋常ならざる力によって作られた薬のようです」 「尋常ならざる…ってどんなもの?」 あまりに非現実的な話に、思わず耳を疑いたくなるばかり。 しかし、2人の頭に生えた耳が目の前にある限り、そうも言ってられない。 質問ばかりぶつけるあたしに呆れることなく、今度はヒートが答えた。 「それはまだわかんねぇ。ただ、遥か昔に存在した何からしいな。 本当はヤブ医者に直接聞きてぇんだが…あいつ逃げ足が速ぇんだよ…」 ヒートの言うヤブ医者が、恐らく薬を使った医者のことなんだろう。 恨みのこもった呼び方ではあるが、あたしは肩をすくめて言った。 「お医者さんを追いかけてるのは分かった。それで…あたしのお腹のアザと、何の関係があるの?」 聞くことは怖い。 でも、聞いておきたい。 否定的な感情で心が満たされる前に、あたしは自ら問いただした。 「その…ですね…」 「まずは熾団のことだな」 説明の仕方を悩んでいるディライトの言葉を繋ぎ、ヒートが考えながら言った。 「熾団を取り仕切っている男―――俺はトップって呼んでたけどな―――そいつが、尋常ならざる力について研究してるんだ」 「その研究と題し、様々な事件を起こしているんですが……研究の成果を、熾団の面々に分け与えているんです」 「分け与えてる…?」 果たしてその尋常ならざる力というものが、分け与えられるモノなのか全く分からないんだけど。 「つまり、カーディナルにも例外なく与えられたってこと?」 ディライトはこくりと頷く。 「恐らくは。どうやら、力を分け与える代わりに、何らかの契約で縛っていたようですが…」 ――契約…?―― その言葉と共に、蘇る痛々しいカーディナルの体。 まるで壊れた人形のように、体に亀裂の入った異様な姿。決して普通の人間ではないことを物語っていた。 ――尋常ならざる力……契約……砂になった人の体…―― ぞくり。 カーディナルの狂ったような笑みが脳裏に浮かび、背中に悪寒が走る。 何か、あたしの知らない所で大きなモノが動いてる気がする。 「……の力が、不思議な模―――――大丈夫ですか?」 耳を素通りする言葉の途中、突然声をかけられ、顔を上げる。 「だ…大丈夫…です」 ディライトにつられ、思わず語尾が敬語になる。 それを見て、ディライトの視線がわずかに落ちた。 「少し話し過ぎましたね。簡単に言えば、僕はカーディナルの力があなたに移ったと考えているんです」 「そうなのか?」 ヒートの意外そうな声。どうやら彼も初耳らしい。 「力を持つ者しか使えないナイフを発動させることが出来たということは… リタさんにも力が備わったということ」 首を傾げるあたしを見て、言葉を続けるディライト。 「つまり、そのアザこそ、尋常ならざる力の存在なんです」 「え…?」 力があたしの体に移った? 理解が追いつかない頭。 思わず頭を抱えたくなるのを必死でこらえる。 「でも安心してください。契約までは移っていないはずです…!!」 でもあたしはハッキリと覚えていた。 カーディナルは、同じ苦しみを、と言って手を押し付けてきた。 どんな苦しみを味わうのか、いつになれば解放されるのか、あたしには何も分からなかった。 だって、今のところ、あたしには何の変化もない。 「待って…ちょっと待ってよ」 完全に停止しかけている思考を、無理矢理動かす。 「あたし………死んじゃうの?」 「それはねぇよ」 ヒートが間髪入れず答えてくれたけど、まだ安心は出来ない。 震えそうになる膝を、拳を握り締めてこらえる。 「もし契約が移ってるなら、トップは誰も生かしておかねぇ」 「熾団以外の人間に力が渡ることを、トップは決して許しません。反対に考えれば、あなたが今生きていることが、契約がない証拠…… ですが、今の段階では何も分かりません。僕らでさえ、力に関しては無知に近いので…」 そこで言葉を切ると、ディライトは下唇をわずかに噛み、俯いた顔を上げた。 「ごめんなさい。あなたを巻き込むつもりはなかったんです」 その瞳には申し訳なさが灯っていて、あたしは自分の立場を徐々に理解し始めていた。 二人が全て悪いワケではない。 何も知らずに首を突っ込んだあたしも悪いのだ。 そして、望まない2人の境遇も。 黙ってしまったヒートとディライト、そして開いた両手を順に眺めて、あたしは静かに考えていた。 留まることは容易い。生まれて育ったこの町で、今までと同じように暮らしていけばいいのだ。 何も聞かず、何もなかったかのように。これまでと同じ、平穏な日々を。 でもそれは、本当に正しい道なのだろうか。 大きな迷いが心をかき乱す中、頭をよぎるひとつの言葉。 懐かしくて温かい、おかーさんの声。 ――進むことは怖いかもしれない。……でも、ね―― 恐れず、突き進む強さを。 「お願いがあるの」 重たい沈黙を破ったのは、他でもないあたしの声。 ゆっくり顔を上げる二人に、決意のまなざしを向けて。 「あたしも連れてって」 「連れ…!バカかお前…!?」 ヒートの怒ったような声。 「どんなに時間がいるか分かんねぇんだぞ!?無事に帰ってこられる保証だってねぇし――――」 「それは2人だって同じでしょ?」 あたしの言葉に、ヒートは声を中断させた。 きっと、そんな言葉が返ってくるとは想像していなかったかのだろう。 「危険だってことも、解決できるかわかんないことも、一応理解してる」 「僕らが解決策を見つけて、必ず戻ってくると約束してもですか?」 ディライトの優しさに、こくんと首を縦に振る。 こうなったのは、あたしのせいでもあるのだ。 人任せなんて、出来ない。 「それに、このままこの町に残ったら、何か人生諦めたみたいだし…できることはやり尽くさなきゃ、性に合わないっていうか……」 我ながら頑固だと思う。 親の教育方針……というより、完全に遺伝なのだろう。 おかーさんの顔を思い浮かべたら、何だか急におかしくなって、あたしは小さな笑みを口元に浮かべた。 「バカでごめん。でも、あたしは当事者の一人として…前に進みたい」 わがままと言われても、これがあたしの本心で、率直な思い。 何を言っても折れないと解釈したのか、ヒートは大きなため息をついた。 「…わかった。父親に話してこい」 荷物も一緒にな、と付け加えたヒート。 その後ろのディライトも苦笑を浮かべていて、あたしはひとつ頷くと、きびすを返して走り出した。 休日の昼下がりの町は落ちついていて、店まで近道をするあたしを妨げるものは何もなかった。 やがて見えてくる店。 ドアを開けながら息を整え、おとーさんの姿を探す。 「リタ、おかえり」 「ただいま」 店の奥から出てきたおとーさんに、お客さんがいないことを確認してから、あたしは口を開いた。 「おとーさん、仕事中ごめんね。ちょっと話があるの」 とり急ぐあたしに気付いたのか、それともよっぽどヒマだったのか、おとーさんは手を止めてあたしの方を向いてくれた。 「どうした?」 「うん。あのさ…最近、おかーさん帰ってこないよね」 最近どころではない。 他の島へ出向き、ここ4、5年は帰ってきていない。 よっぽど仕事が波に乗っているのだろう。 「そうだなぁ…まぁ、便りがないのは何とかっていうだろ」 言って笑うおとーさんに、あたしは覚悟を決めて口を開いた。 「あたしね、おかーさんに会いに行こうと思うの。学校も卒業して一年経ったし…もう子どもじゃないんだから、待ってるのも飽きたっていうか… それに、おかーさんの働いてるトコ見てみたいし…!」 変に思われないようにと考えれば考えるほど、だんだん早口になっていく。 半分ホンネの混じった言葉を並べるあたしに、おとーさんは最初は驚いた顔をしていたのだが。 「そうか…お前も、もう子どもじゃないんだな」 優しく微笑むおとーさんの顔。 「店番だって一人で出来るようになったんだ。成長したリタを、俺もセリシアに見てもらいたいな。 それに、あの子たちと一緒に行くんだろう?」 ――っ!!―― バレた、と一瞬強張ったあたしの顔。 しかしおとーさんは怒ることもなく。 「何やらワケはありそうだが――――根は悪い子たちじゃない。俺もそろそろ、娘離れの時だな」 言って朗らかに笑うおとーさんの気持ちが、痛いほどよく分かる。 おかーさんもあたしも店を出て行って、一人で残るおとーさんは寂しいのだろう。 それは、親離れをするあたしの痛みと重なって、あたしは思わずカウンターの中に駆け寄り、尚も笑うおとーさんに正面から抱きついた。 大きくて温かい身体。 あたしの背中に回る、おとーさんの手。 この手で、あたしは怒られて誉められて、そして育ってきたんだ。 ――ごめんなさい…―― 真実を話せなくて。いきなり親元を離れて。迷惑をかけて。 でも、絶対戻ってくるから。 「気をつけてな」 胸の奥が熱くて、声にならない。 代わりに大きく頷いた。 ――…ありがとう―― 大きな感謝を、胸に秘めて。 必要最低限の荷物をまとめて、あたしは自分の部屋を見回した。 開けっ放しの窓から風が通って、カーテンをゆるやかに揺らす。 がらんとした部屋。もう戻って来ることが出来ないかもしれない、と考えたら、急に少し怖くなった。 それと同時に、目に入った机の上の写真立て。 中に入っている写真は、入学した時に撮った、おとーさんとおかーさんに挟まれ、幸せそうに微笑む制服姿の自分だった。 幼い自分の無邪気な微笑み。 楽しそうに笑うあの頃の思い出を、胸にしまって。 必ず帰ってくると誓いを立てて、一人柔らかい日差しの部屋を出た。 階段を下り、店に出ようとして、あたしは足を止めた。 壁を一枚挟んだ向こう側に、おとーさんと誰かの話し声が聞こえたからだった。 「誰に似たんだか……うちの娘は随分元気でな……」 参ったようなおとーさんの声。 あたしは壁に身を潜めるようにして、次の声を待った。 「あいつの母親がいなくなってから、あいつは前よりも成長した。 家事も店番も……それまではほとんどやらなかったからな…… 年頃の娘にとって、母親のいない生活なんて辛いだけだろうに」 壁のせいで顔は見えないが、あたしにはおとーさんが何かを悔いているのがすぐに分かった。 それは違うの、おとーさん。 確かに…おかーさんが帰ってこなくなった数年、カラ元気だった時はあった。 おかーさんがいなくて、大変な時もあった。 だけど、辛いと思ったことも、寂しいと思ったこともない。 おとーさんがいつでも、ここにいてくれたからだよ。 ――……っ―― 荷物を握り締めたまま、あたしは目から流れる涙を、拭いもせずただ話を聞いていた。 次に聞こえたのは、ヒートの声だった。 「母親のいない気持ちは、俺たちにもよく分かる」 「僕らは、生まれた直後に母を亡くしているんです。父親はそれより以前に。 双子として生まれた時には、僕らを育ててくれる親はいませんでした。 だから…正直なことを言ってしまえば、僕らは親元を去るリタさんの気持ちを、汲むことは出来ません」 ――双子の…孤児……―― 初めて聞く話だが、あたしはどこかで納得していた。 2人だけの世界というのか、あの独特な雰囲気。そして、周りの人を突き放すような感じ。 ヒートの鋭さと冷たさ、そしてディライトの誰にも核心に触れさせないような笑顔が、あたしの脳裏に浮ぶ。 「こんな僕らに、愛娘を任せるんですか?」 「そんなお前たちだからこそ、任せるんだよ」 確かめるかのようなディライトの言葉に、おとーさんはやんわりと返した。 「あいつは…きっと母親と同じように、型にハマるのは合ってない。――――連れてやってくれ」 ――おとーさん…―― そんな風に思っていたなんて、全然知らなかった。 「良いんですか?」 「あいつのやりたいようにさせたいんだ。あいつがいなくなるのは寂しいが…満足に母親に合わせられなかった、償いにもならない」 後悔を含んだおとーさんの声を聞きながら、あたしはようやく、顔に手を押し付けた。 洩れそうになる嗚咽を、必死でこらえる。 何を悔いてるんだろう。 何ひとつ、悔いることなんてありはしないのに。 「…そんなことねぇよ」 あたしの気持ちを汲み取ったように、ヒートが声を上げた。 「あんたは立派な父親だ。それは、あいつが一番わかってるはずだろ」 「リタさんにとって、あなたはきっと良い父親であったはずです。…そして、これからも」 「…だと、良いな」 小さく――――それでいて優しく呟いたおとーさん。 あたしはそれからしばらく、涙を流していた。 生まれ育った海の町。 変わらない町並みを眺める。 学校。いつもの路地。階段。坂道。広い空と、静かな青い海。 賑やかで、それでいて温かい人がたくさんいる、あたしの誇りの故郷。 ここを離れて、あたしは何を見つけるのだろう。 分からないことだらけで、不安は尽きないけれど。 慣れ親しんだ仲間に――――町に、そっと別れを告げ。 先ほどと同じ海岸に荷物を持って戻ると、砂浜の手前で、岩に寄りかかるヒートが見えた。 「本当に良いんだな?」 帽子を目深にかぶったヒートの言葉に、あたしは最後に一度だけ振り返り、力強く頷いた。 「うん――――行こう」 平穏で緩やかな日々は終わりを告げ、自分の本来の姿を取り戻すための旅が始まった。 まだ目の赤いあたしを新しく乗せて、舟は次の島を目指す。 出帆する
20090607 |