36歩家出




「よう家出娘」
「うるさいよばーか」
「バカって酷くね?ほら俺の言った通りだったでしょ。どうせすぐに帰りたくなるって」
帰りたいなんていった覚えはない。むしろ帰りたくない。つかそのための家出だろ。
ムスッとして何も返さないでいたら、どうやらあたしの機嫌の悪さを悟ったらしい。
こうなっては最早テコでも動かないのは承知の上。はぁっとやたら大きなため息をつき、あたしの横に腰をかけた。
「言っとくけど帰んないから」
睨みつけた結果は、はいはい、という何ともお粗末な返事だった。そうかテコでも動かないのはあっちもそうだったと思い出してももう遅い。さすが血を分けた兄だ。あいかわらず綺麗なスーツに身をまとって、
仕事帰りだというのに疲れた素振りも見せない。あーあ。こんなヤツ、早く同期のカワイコちゃんと結婚しちゃえば良いのに。あ、無理か。こんな時間に妹の横にいるんだもんね。彼女いないもんね。
「ところで家出娘。これからどこ行くんですか?」
「え、関係ないし」
「いやこれどこ行くんですかゲーム始まってるから」
「はぁ!?」
バカげたことを言うもんだ。今始まったことじゃないけど、あたしの兄はネジが3本くらい抜けてる。そのクセ1年前のこととかちゃんと覚えてたりするんだよね。
「どこも行かないし。第一教えない」
何故、と首をかしげる。そんな顔しても教えない。そう決めたもん。家出のワケにしたってそうだ。本当の理由なんて言ったところでたかが知れてる。別に助けて欲しいわけじゃない。逃げたいだけ。正しいものから目を反らすのは、そんなにいけないこと?逃亡も回避も変わらない。結局は接触を拒む行為だ。


遠くに行きたかった。逃げでいい。誰から笑われようが罵られようが関係ない。窮地に陥らなければわからないことだってある。あたしはとてつもなく寂しがりやなんだとか、ひとりじゃまともに生きていけないとか、当たり前のことすらひとつひとつ目の当たりにしなきゃ受け入れられない。だけどリスクが大きすぎる。全てを投げ出してでも知りたいことなんか、もっと他にあるだろうに。それとも過大評価しすぎ?
世の中なんて甘くない?夢を持ちすぎてる?何で大人になるにつれてなくなっていくんだろう。子供の頃は分かっていたことが、今じゃ何もわからない。友達とかもがくとか、全部カッコ悪くなっちゃうよね。それと同じだ。純粋さがなくなっていっちゃうのかなぁ。
「考えなくても大丈夫だったからね」
声に顔をあげる。あれ、いつの間に声に出してたんだろ。
「成長するにつれて存在価値について考え始めるんだよ。過去に無駄になった努力があれば諦めたくもなるし、このパターンはやばいとか・・自分に警鐘を鳴らしてる。
それにどう反応するかはその場その場で決めればいい。最初から決め付けるのは、いささかつまんないからね」
はは、と笑いながらヤニに火をつける。それは正論、と聞きかけたケドやめた。それもあたしが決めることなんだろう。
「お腹空いたなーお兄さんお腹が空いた」
「帰って食べなよ。行って良いから。つか隣でヤニを吸うな」
「連れないねぇ。一人でメシ食ってもつまんないっしょ?」
あ、存在価値。誰かの一言で確信することもあるんだ。つくづく上手い兄。本当に器用なヤツだ。これぐらい器用なら、世の中怖いものなんてないんじゃん?ふぅと息を吐いて、あたしはちらりと腕時計を見た。10時28分。あーあ。やっぱり続かなかった。
「・・・・・わかった」
「おし!じゃぁ行こ」
立ち上がる二つの影。誰もいない家に向かう兄妹の、どこか満たされた普通の後ろ姿。
7月下旬の家出は、玄関から36歩のわずか15分で終了した。




蚊に刺されまくってると思う。
20060728